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悪夢

 夢を見せて現実を奪う。
 恐怖に染められた夢から抜け出そうとしても、夢が終わるまでは目覚められない。
 そして。それは永遠に訪れない。

 

 

 かすかな灯りの下で漆黒を纏った男はため息をこぼした。
 寒過ぎる気温のせいで、息は白くなってから空気へと溶ける。
 だが彼のため息は寒さのせいではない。
 もうすぐ。また自分は閉じ込められるのだ。
「よぉ、夢魔。珍しいな。お前が外にいるのは」
「……夢喰か」
 漆黒の彼とは対照的に純白を纏う男がそこにいた。
 夢喰。夢魔が創りだした悪夢を食らい、人間を目覚めさせることが出来る唯一の存在。
 夢喰は寒さを防ぐためか、長い巻き物を首に巻きつけていた。
 夢魔が袖がない服を着ているのとは対照的だ。
 彼は寒さを感じていたいのだ。凍えそうな寒さは、夢魔に現実を教えてくれる。
 これこそが本物リアル だと。
「人間の夢は甘美な味だというが、悪夢はいつでも不味いものだな」
 夢喰の言葉に夢魔は自嘲したように吐き捨てた。
「俺に言っても意味はないことぐらい分かっているだろう。俺は悪夢を人間に見せ続ける。そして現実を奪う。いつか自分だけの現実を手にする、その日まで」
 夢の魔。
 それは残酷な悪夢を創りだし、人間を陥れる狡猾な魔だ。
 だが、考えたことがあるだろうか。
 夢魔である彼こそが一番夢を憎んでいると。
「……悪い。夢魔」
 夢喰はもうほとんど消え入りそうな灯りの下で、唇を噛みしめた。
「なにがだ? 俺の現実を奪うことか?」
「俺は夢を喰って生きている。だが……お前の夢だけは喰えないんだ……」
 夢喰に触れようとしても、手は空をきった。
 視界が擦れてくる。
 もう……終わってしまう。
「……当たり前だ。俺こそが悪夢。悪夢そのものを喰えるわけがない。お前は夢の中では生きていけないのだから」
 夢魔を喰らったら、彼は夢に捕らわれる。
 夢喰は現実を生きながら、夢を喰っていく生き物。耐えられるわけがない。
 こんな。こんな悪夢ぜつぼう
 夢など見たくない。
 現実こそが自分が焦がれ続ける希望だ――。
「もう……行く……夢喰……お前は――」
 最後まで言うことが出来ずに、夢魔は姿を消した。
 灯りが消え去る。
 夢喰はとっさに出した手を固く握りしめながら、呟く。
「夢魔……せめて今夜はいい夢を」
 それが無駄な願いだと分かっていても、彼は願わずにはいられなかった。
 夢魔はずっと黒い夢の中で生き続けなければならない。
 誰に見せる夢よりも。
 それは絶対的な悪夢なのだ。

 夢喰は瞳を閉じる。世界は暗闇に包まれた。

 夜の帳がおりる――。

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