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傷跡

 まだ王子が幼かった頃。
 ある少女に怪我を負わせてしまったことがある。
 少女はさいわい大怪我はしなかったが、傷跡は深く残ってしまった。
「ごめんね。僕、なんでもする! なんでもするから!」
 泣きじゃくる王子に少女は優しく囁いた。
「じゃあ約束して――」

 

 

***

 

 

「わたくしはあの日王子さまに約束いたしました。次に会う時、わたくしと王子さまは恋に――」
「全然違う。はい、終了ー。次」
 リオバールはにべもなく告げた。
 目の前で瞳を潤ませていた額に傷がある(おそらく化粧だ)令嬢は、悔しそうに顔を歪ませたが、リオバールの視線に気づき、おとなしく退室していった。
 リオバールは玉座から足を投げ出し、あくびをする。
 もう飽き飽きしているのだ。
「王子殿下。そんなどこかのならず者みたいな格好おやめください。すぐに次の令嬢が来るんですから」
「うるっさい。ゴンのばーか。あーほ。もうあきたー」
「僕の名前はファゴットンですよ。仕方がないじゃないですか。王子が婚約者候補のお姫さまをみんな泣かせるうえに、王様に変なこと言うからですよ。ほんと黙ってればいいのに」
「うるさいって言ってるだろ! だいたい黙ってればってなんだよ」
 自覚のない主人にファゴットンは哀しげな目を向けた。
 くせのない金の髪に深い深い紺の瞳。まだ十三歳のため線は細いが、若木のような少年の姿は未来の希望をふくらませる。
 だが。口を開けばそこらの悪ガキと変わらない。
 そのせいで婚約者は未だに決まらない。さっさと決めておかないと後々になってからでは良い姫は残っていないだろう。
「でもやっぱりここに来るご令嬢は王族の姫君とは違いますね。早く王様に謝って取り消しにしてもらいましょうよ。まさか本当に顔に傷がある少女を探すためにこんなことしてるわけじゃないですよね?」
 ため息をなんとか隠したファゴットンは、次のリオバールの言葉にむしろ噴出した。
「本気に決まってるだろ。ゴンってほんとばーか」
「はっ?! げほっ! ほ、ほんきで?!!」
「だから! 父上にもそう言ったじゃん! 八年くらい前に城を抜け出した時に女の子に怪我させたんだって。で、結婚する約束をしたんだ。ぼくはあの子と結婚するんだよ」
 今回のことは、息子の態度に業を煮やした国王に婚約者をさっさと決めろと言われたのが発端だった。
 リオバールは平然と顔に傷がある娘と結婚の約束をしたと言った。二人だけの約束の言葉を交わしあったのだと。最初こそ唖然としていた国王だったが、それならばと近隣の国々にまでおふれを出したのだ。
 ――顔に傷がある年頃の娘は城に来て、王子にその時した約束を一語一句間違えずに告げよ――と。
 国王も城中の者すべてが王子の嘘だと思っている。偽りの傷を見せてくる令嬢ばかり見ていれば、そのうち諦めて真剣に婚約を考えるはずだと考えているのだ。
 もちろんファゴットンもその一人だった。しかし、リオバールはちっとも笑っていない。真剣な瞳で彼の従者に告げる。
「ぼくは嘘なんてついてない。本当に約束したんだ。だからちゃんと探すよ。その子しばらく遠い国に行くって言ってたけどもう戻ってきてるはずだし」
 そのあまりにまっすぐな瞳になにも言えなくなったファゴットンは、次の令嬢を呼ぶために部屋を出た。
 子どもだと思ってたリオバールのおもわぬ一面に複雑な思いが彼の胸中で生まれた。勝手に彼の花婿姿を想像し、涙ぐむ。
 だが、それは令嬢たちの長蛇の列を見た途端、掻き消えた。
 ――王子、大丈夫でしょうか……。

 

 

***

 

 

 時刻は七時をまわっていた。リオバールは長椅子の上で寝そべって動かない。
 あれから百人以上の令嬢を追い返したのだから、当然である。
 結局、本物の彼女は来なかった。あの強烈的な約束の言葉を言う少女は誰一人としていなかった。
「どこにいるんだ。まったく……」
 あの時のことは今でもはっきり思い出せる。あの日、屋根にのぼって寝転がっていた少女と出会った。自分もやりたいとわがままを言い、少女も大人も反対したのに、無理矢理のぼって。結局落ちた。
 その時彼女はかばってくれたのだ。リオバールの代わりに頬に木の枝を刺した。
 泣きじゃくる自分に笑って、医者の手当てを受けていた彼女に自分は憧れを抱いた。
 あんな風に強くなりたい。そう思ったのは最近だったが、その時もそういう思いはあったのだろう。
 だから彼女が提案した約束を了承した。
 それから、自分はずっと待っているというのに……。
 それとも自分だけなのだろうか。あれは彼女にとって他愛もない遊びのような約束だったのだろうか。しかし、そうだとしたらあの言葉はいかがなものだろう。
「じゃあ約束して。あたしと結婚して、面倒を一生見るって。あたしがしわくちゃのババアになっていけすかない愚痴しか言わなくなっても、毎日あたしにキスをしてねって言ったんだっけ」
「そうそう。しわくちゃのババアってさー。どれくらいしわくちゃなんだろ」
「きっと百年以上生きると思うのよねー。あたししぶといから」
「えー。そんなに生きるのって……うん?」
 リオバールは背もたれの方に向けていた顔を自分の頭上に動かした。
「あっ!!」
 そこには自分よりも年上の少女――頬に小さな傷のある彼女がいた。
「あんた、王子さまだったんだね。全然知らなかった。だからびっくりしちゃった」
「え?! なっ! えー?」
 少女はにこりと笑い、リオバールが寝そべっている長椅子の隙間にちょこんと座った。
 動きやすそうな服のすそがふわりと広がる。令嬢や姫の着ているものよりはるかに質素なもののはずだけれど、それでもその姿には気品があった。
 そんなに長くない麦穂色の髪。肌はリオバールの白い肌とは比べるまでもなく、太陽にさらされやけている肌の色だった。しかし彼女の明るい表情にはよくあっている。
 そして同じ色をした瞳は、艶やかなガラスのようだった。きらきらしている。
 頬に傷さえなければ、見惚れる男は多いと思う。
 実際、リオバールはしばらく呆然と彼女を見つめていた。彼女はその視線を受けても、にこにこと笑っているだけだ。
「あたしの名前覚えてる? あんたはリオって言ってたよね」
 リオとはリオバールの愛称だ。家族以外は呼ばない愛称を彼女の声で聞くとくすぐったい衝動にかられた。
「……キナ」
「うん。そう、キナ。覚えててくれてありがとう。じゃあ、帰るね」
 そう言ってあっさりと彼女は立ち上がり、リオバールの元から離れていく。
「え?! ちょっと待ってよ!」
 キナが扉に手をかける寸前、リオバールは彼女の腕を掴んだ。背は彼女の方が高かった。
「うん? なあに?」
「帰るって、父上のおふれ読まなかったの? 約束の言葉が言えた娘は――」
「あたしは王子さまとなんて結婚できないよ。それを言いに来たの」
 キナは笑っている。少しだけ大人びた微笑みにリオバールは黙るしかなかった。
「あたしの家はただの商家なの。両親はいろんな国を行ったり来たりしてるし、あたしもその手伝いをしてる。あの時はね、ちょうど手伝いをはじめるために国を発つ前日だったの」
 商家はいろいろな国で自社の商品を売るのが通常だ。そのために材料を取りに他国へ行きっきりになるのも珍しくない。
 王宮だってそんな他国からの商人を招いて着る物、宝石類などさまざまな物品を買っているのだ。
 しかし、まだ幼いリオバールには分からない。キナの腕を強く握りしめた。
「いたいいたい……腕が折れちゃうよー」
「なんで! 約束したじゃん!!」
 リオバールは必死に背伸びして彼女の真正面を見据えた。初めて彼女から笑顔が消える。
「ぼくに約束してくれたじゃん! 泣きまくってたぼくを抱きしめて言ってくれたのに!」
 忙しい父も母も、リオバールの顔など見に来てくれなかった。すべてファゴットンと乳母に任せきりで、抱いてもらった記憶などまったくない。
 初めてだった。あんな風に笑って抱きしめてくれた人は。
 だから父にも反抗できた。なにもこわくなかった。自分にとって大切なのはあの思い出、あたたかさだったのだから。
「キナ! ぼくと――」
「王子さまと結婚するのはお姫さまだよ。そうやって決まってるの。リオバール王子」
 キナはリオバールの手を優しく取った。その手を自分の手と重ねる。
「今日来て分かったの。あの時もあなたはとってもきれいだった。あたしとは比べられないくらい。本当は知ってたの。ねぇ、こんなきれいな手の人。あたしのまわりにはいない」
 キナはリオバールの手を愛しそうに握った。目をきつく閉じる。
「さようなら。すてきなお姫さまと幸せになってね」
 キナはそっと手を離すと、そのままくるりと背を向けて、扉を開けた。
 扉の向こうにはファゴットンがいて、彼は目を見開いたまま固まっていた。ぺこりと頭を下げ、キナが部屋を出て行く。後ろは――振り返らない。
「王子……あの……」
「っつ!!」
 リオバールはファゴットンを押しのけ、キナの元へ走った。
 後ろから体当たりのようにぶつかり、抱きしめる。
「ぼくはキナと結婚するんだ!」
 大きな声が廊下中に響き渡った。使用人たちがなにごとかと思って走ってくる。
 キナはリオバールの手を振り解こうとし、もぞもぞと動いた。
「やめて、リオバール王子。ねぇ――」
「キナの傷はぼくのものだって言ったじゃないか!!」
 リオバールは叫ぶ。声のかぎり。彼女の心に届くまで。
『大丈夫よ。リオ。こんなの平気。あんたが無事でよかった』
 そう言って抱きしめてくれた瞬間、リオバールの心の傷は溶けて消えた。
 父にも母にも愛されていないのだと思っていた。城なんて窮屈でいやな場所だとしか思ってなかった。
 けれど、違った。抱きしめてもらえないなら、自分が抱きしめればいいと彼女に教わったのだ。
「ぼくのものなんでもあげるから! その傷はぼくのものなんだ!」
 リオバールは一度、手をほどき、キナに自分の正面を向かせた。
 キナは戸惑っている。それでも今言わなければいけない。今彼女に伝えなければ――。
「待ってて! ちゃんとぼく勉強する! キナと結婚するためにがんばるから! もうちょっとだけ待ってて!」
 廊下はリオバールの声だけで満たされた。キナは驚いたように目を見開いている。
「ぼく、キナが好きだよ。毎日キスだってするから」
 分かっていた。彼女も寂しかった。親のいない家の屋根でたった一人寝そべっていた。
 でもその寂しさはその時のリオバールでは埋められなかった。
 次こそ埋めてみせる。彼女の頬の傷ごと受け入れる。
 リオバールは真剣にキナを見つめた。やがて……キナは笑った。
「かっこよくなったね……リオ。あたしよりもずっと大きくなってる」
「へ? いや、ぼくまだちっちゃいけど……」
「そういう意味じゃないよ。じゃあ、もうちょっと待ってる。でもあたしが二十五歳になるまでにしてね。あと八年でなんとかして」
 彼女はそう言うと、かがんでリオバールの頬にキスをおとした。
「!!」
「これは約束の証。ずっと待ってるからね」
 そうして彼女はもう一度、使用人たちとファゴットンに頭を下げて、帰っていった。
 リオバールは真っ赤になってしばらくその場に固まっていた。

 

 

***

 

 

「ねぇー? その女の子と王子さまはどうなったの〜?」
「さぁ、どうなったのかしらね?」
「えー。教えてよ〜」
「うふふ。それはあなたがあなただけの王子さまに出会ってから教えてあげるわ」
「キナ。時間だぞ」
 女は幼い少女を抱えたまま、振り返った。
 扉を開いて呆れたように言う夫に、いたずらっぽい笑みを返す。
「分かったわ。じゃあ、リィナ、ナニーとおとなしく待っていてね」
「うん。いってらっしゃーい」
 聞き分けのいい娘に手を振って、彼女は夫と共に部屋を出た。
「なんの話をしていたんだ?」
「昔ばなしよ。素敵な王子さまと女の子のはなし」
「そうか」
 それが自分と彼女の馴れ初め話だとは彼は気づいていないだろう。意外に鈍いのである。
 彼女は無意識に自分の頬に手を伸ばした。しかし本来傷があるはずの頬は滑らかだった。今のキナの頬に傷跡はない。化粧で隠しているのだ。それは国交上仕方がない。けれどキナにはなんの憂いもなかった。
 親や他の人間はみなこの傷を見て痛ましそうに哀れんだけれど、傷跡はむしろ愛しいと思う。この傷のおかげでキナは彼に出会えたのだから。
「リオ」
「なん――」
 キナはリオバールの唇にキスをした。もうとっくに彼女の背丈を越えた彼に届くように背伸びをして。
「?!!」
「わたしがおばあちゃんになったらちゃんと自分からキスしてよね」
 キナは真っ赤になったリオバールを見て笑った。
 約束の八年を少し過ぎはしたけれど、彼は立派な王子になって自分に求婚をしてくれた。
 彼はいつでも傷跡のある自分をまっすぐな瞳で見つめてくれる。
 今、彼女はまちがいなく幸せだった。

 

 

『じゃあ約束して。あたしと結婚して、面倒を一生見るって。あたしがしわくちゃのババアになっていけすかない愚痴しか言わなくなっても、毎日あたしにキスをしてね』
『うん!』
『忘れないでよ?』
『大丈夫!そのほっぺが結婚のあかしだもん! 約束だよ。その傷はぼくのものだからね!』
『うん! じゃああたしの全部あんたにあげる。だから大きくなったらあたしを抱きしめてね。今はあたしが抱きしめてあげるから。約束よ――』
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