真白き森エイディンハイムに棲む一角獣は氷の鬣と白夜の体、そして星の角を持った美しい馬だ。
力強い嘶きは氷の風を生み、大気を凍てつかせ、地上に白銀の結晶を降らせる。
大地を白く染め上げ、凍てつかせる白銀の結晶――時に暴力的なほど冷たく美しいそれを、人々は「雪」と呼んだ。
なき雪にひかり
夜空と大地の隙間に雪が降りしきる真夜中。
大きな結晶の雪はいっそう強く吹きつけ、
私は赤いミトンをはめた手をケープの内側に滑り込ませた。
星は青白く明滅を繰り返し、目に痛いほど鮮明だった。
「ジル。森から出てはいけないと言ってあるでしょう?」
まだ氷というには程遠い青灰色の鬣をそっと撫ぜると、
鳴き声を出して、私の頬に鼻をすり寄せてくる。
エイディンハイムの森に棲む一角獣の仔。
雪をこわがる甘えん坊で、私の大切な仔。
静かな銀世界の中で、私たちはふたりぼっちだった。
「――ジル?」
森の一点に顔を向けたジルの視線の先を辿る。
エイディンハイムの森の入り口。
大きな樹が立ち並ぶそこに人が倒れていることに初めて気が付いた。
凍りついたローブを剥がすようにずらすと、
すっかり青白くなっている顔が覗いた。
驚くほど、きれいな男の人だった。
「大丈夫よ。私が連れていってあげる」
「……あったかい」
まるで雪を溶かすような暖かい笑顔。
静かな白銀の世界に、私の鼓動がいやに大きく響いていた。
けれど、その意味が私にはまだよく分からなかった。
とてもきれいなあなたに、そして私は出会った。
「ここはシュテルアン修道院。私はユリア・シュテル=ヴェニス。
シュテルアンの『雪の乙女』と呼ばれているわ」
一角獣と心を通わせ、雪に祈りを捧げる乙女。
それがユリアがこの地で与えられたさだめ。
「僕のことはシエルって呼んでほしい」
彼は青灰の瞳を細めて口を開いた。
ジルの鬣と同じ色。まるで宝石のようにきらめいている。
「きれいな瞳だね。まるで宝石みたいだ」
ユリアの濃い橙色の瞳を見つめて、彼は笑った。
普段、赤みのほとんど差さない頬にかっと熱がともった。
「そ、そういうことを軽々しく言う男の人は、信用してはいけないと教わったわ!」
初めてだった。笑って、人に誉められたのは。
「男を拾ってくるなよ。勘弁してくれ。頼むから」
「見つかったら、絶対司祭様に星の矢に射抜かれてしまえ! って言われるよぉ?」
穢れた『雪の乙女』は、『星の狩人』に星の矢で心臓を射抜かれ、
一角獣は氷の業火で身を焼かれるという。
子どもの絵本にものっている迷信だ。
友人たちの言葉に辟易しながら、ユリアはいつもと同じ台詞を吐く。
「私は倒れていたから助けただけよ。間違ったことはしていないわ」
さらさらと流れる夜色の髪と、あの青灰の瞳。
まるでジルを人間にしたような人。
あの人が持つ色はジルとよく似ている。
だから――ほんの少し、安心してしまうのだ。
「ユリアは優しいね」
「そんなことないわ。私は泣いている一角獣に何も出来なかった」
いつも悲しい声で泣いていたのに、どうしてあげることも出来なかった。
だからせめてあの仔だけは、ひとりにしないと決めたのだ。
「
「私はずっと雪解けの日を待っているの」
「君が信じているなら大丈夫だよ。僕も信じてる」
私はただこの一言が欲しかったのだと、言われてから気づいた。
雪降る街で雪解けを願うなんて途方もない思いを、
一緒に信じてほしかったのだ。誰かに――きっとあなたに。
けれど、あなたの秘密を私は知らなかった。
気づかないふりをしていた。
あなたの背中を見たくはなかったから。
「ねぇユリア」
掠れた響きに呼応するように、彼の瞳から雫が一粒零れた。
きれいだった。透明で、まるで雪解けの水のような。
とても柔く、けれど逃がさない強さで指先を握り込められる。
「僕は臆病で……君に何一つ伝えられないけれど。でも覚えていて欲しい」
「好きだよ」
ともすれば、聞き逃してしまいそうなほど小さく囁かれた言葉は、
けれど不思議なほどにユリアの鼓膜を刺激した。
幸せはこんなに痛いのだと、初めて知った。
「さようならだ。ユリア」
「待って! 行かないで!」
私は今、選ばなければいけないのだ。
あなたを守るために抱きしめるのか、それとも――。
そして、一角獣の嘶きがすべての時を止めた。
私は行く。
私を信じてくれるあの仔と、私が信じたいと思った彼のために。
そして、私が願った雪解けの日のために。
雪降るときも月仰ぐときも花咲くときも――どんなときも。
ずっとあなたといたい。
合同誌「雪月花」
2014年2月 発刊予定
静かに舞い落ちた最後の雪の欠片が、まるで祝福のように光り輝いた。